誰も知らない「モンペ」の謎〜なぜこれが女性の「国民服」になったのか?

【特別公開】井上寿一=著『戦前昭和の社会』2
井上 寿一 プロフィール

服装の平準化

上流階層の女性の雑誌『ホーム・ライフ』にもモンペ姿が多くなる。1938(昭和13)年10月号の記事「婦人用の非常時服/新考案のモンペイ」が掲載する写真は、新しい型のモンペを着用して防火訓練に励む女性たちの姿である。

モンペ式婦人国防服『ホーム・ライフ』1937年11月号

「洋服のスカートのような深い襞(ひだ)を前後にとってあります、そのためモンペイ特有の変な姿がなくなり乗馬ズボンに似た軽快なズボン型式になり若い御婦人には喜ばれております」。

この記事は新しいモンペの型紙見本付きである。

『ホーム・ライフ』にはモンペ姿だけでなく、女性労働者の作業着姿の写真も掲載するようになる。

1938年10月号は「菜ッ葉服の女性」を取り上げている。「女性の男子職業への進出は今日にはじまったことではないが、時局下の緊張が女性を駆っていよいよ男子職業への勇敢な突撃を敢行させる、この積極的精神のなかに日本女性の頼もしい力強さが感じられる」。この一文が紹介する女性たちは、「鎔接工」、「自動車修繕工」、「照明係」だった。

1940(昭和15)年5月号には「銃後に働く」女性たちの写真特集記事がある。「防毒面」や電球、写真機を作る女性のなかには、家庭を守るべき主婦もいた。

「事変下の各工場では、昨今男子に代って、女性の進出が素晴らしい。いままで女性の働くところといえば紡績か、織物か女性らしい仕事にかぎられていたが、化学工業まで女性の手で出来るようになり、働くことは、女性としての義務のようにさえ思われて来た……若い女性ばかりでなく、家では子女の二、三人も待っていそうな家庭婦人らしいのも交っている」

 

戦争は日本社会の平準化を確実に進めた。男女間、上流階層の女性と下流階層の女性のあいだ、若い女性と主婦のあいだ、これらの関係における平準化が進んだ。

1940(昭和15)年11月号の『ホーム・ライフ』にモンペ姿の多数の女性が登場する。「贅沢は敵だ」のプラカードを掲げて、大阪の御堂筋を行進する約2000人の「モンペ部隊」だった。このよく知られたスローガンとすぐに思いだすモンペ姿の写真を掲載した、カタカナ表記の雑誌名の『ホーム・ライフ』は、翌12月号をもって終刊を迎える。戦争による社会的な格差の是正は、この雑誌の役割に終止符を打った。

(つづく)

井上 寿一(いのうえ・としかず)
1956年、東京都生まれ。一橋大学社会学部卒業。同大学院法学研究科博士課程などを経て、現在、学習院大学法学部教授。法学博士。専攻は日本政治外交 史。主な著書に『危機のなかの協調外交』(山川出版社、吉田茂賞)、『日中戦争下の日本』(講談社選書メチエ)、『昭和史の逆説』(新潮新書)、『吉田茂 と昭和史』(講談社現代新書)、『山県有朋と明治国家』(NHKブックス)がある。